現役エンジニアからの手紙(第4回):“MOSHI MOSHI ?” 〜アメリカ生活その2

[コラム]現役エンジニアからの手紙<第4回>

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Teruhito Fukuoka

“MOSHI MOSHI ?” 〜アメリカ生活その2

前回に引き続き、私のアメリカ生活での印象深かったことを紹介させてもらいます。今回はアメリカ生活で出会った人たちです。


これから紹介する御三方は、私にとっては出会えたことがこの上なく幸運であり、本当に感謝してもしきれない方たちです。
【Peter(ピーター)さん】
お客さんの最初の担当の方がPeterさんという方で、優しくて外国人に対して理解がありました。ご自身も何年かスウェーデンに赴任経験があり、そこでアメリカ人以外との付き合いを学び、英語がダメな私にもわかりやすくゆっくり、言葉を選んで話をしてくれる方でした。私が多少電話応対できるようになってきてからですが、彼が電話してくると、まず「Moshi Moshi?」と言い始めたのには、びっくり&笑ってしまいました。私たち日本人同士で電話する時に「もしもし」と話しているのを見て覚えたんですね。
【楊(ヤン)さん】
私は機械系の技術者なので、職場は基本7~8割は男です。最近は女性技術者も増えてきていますが、まだ少ないし、管理職となるとほぼ0です。アメリカはそのあたりは進んでいて、技術系でも上の役職に女性の方がそれなりにはいました。赴任先のマネージャーさんは中国出身の楊さんという女性で、とても頭の切れる方でした。中国で大学を卒業し就職後、九州大学大学院に通われ、少し日本の企業で働いた後、ご主人の仕事の都合で渡米、その後現地採用で私の会社に勤められていました。中国語・英語・日本語それぞれペラペラで、技術もそれなりにわかるという才女、とにかくアメリカ滞在中は散々助けていただきました。たまに傷は、元々早口なんですが、少しテンションアップするとさらに早口になって、英語が聞こえないというよりは、そもそも何言ってるか聞き取れん、なんてこともありました。
 
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写真:左奥/Peterさん、右奥/楊さん、右手前/Billさん(お客さん)
 
【Dennis(デニス)さん一家】
当時、息子はサッカーをやっており、アメリカでもやりたいと言ってたので、現地の日本人がいないサッカーチームに入れました。アメリカの場合、学校ではなくクラブチームなので送り迎えが必要になり、私もよく送って行っては終わるまで待っていました。その同じチームで世話係をしてくれていたお母さんと、そのおばあちゃんが声をかけてくれたのが始まりで、右も左もわからない我が家にいろいろと気を使っていただきました。息子さんのLogan(ローガン)君が、うちの息子と同い年、小学校は違いましたが、中学校は同じになり 仲良くしてもらっていました。お母さんはデザイン事務所を経営、ご自身もデザインの仕事をされており、お父さんはゴルフ場の支配人、二人とも優しい方でお父さんはちょっと茶目っ気の多い方でした。アメフトの試合に連れて行ってもらったり、多分日本人だけだと絶対に知らないようなところにも誘ってもらったりしました。例えば、近場の個人の大農園で、夏場だけ敷地内のため池を一般に開放しているので泳げる、なんてところに連れて行ってもらったこともあります。もちろん、知り合ってなければ行くことはおろか、存在すら知らなかったでしょう。一度日本においでよという話もしていますが、仕事も忙しい様子でなかなかチャンスがないようです。
 
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写真:デニスさん(左)と奥さんのキャシーさん(中央)
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写真:近所の大農園の池
 
他にもいろんな方に出会いました。その中でもスゲー! と思ったお二人。
【新人君】
アメリカはGenderに関しても寛容です。私が赴任したのとほぼ同時期に、新人君が一人入ってきました。彼はなんとカーネギーメロン大学機械学科を主席で卒業したという秀才、でも頭でっかちで学校の勉強だけできるタイプではなく、指示内容を的確かつそれ以上にやってくるという、ほんとの意味で頭のよい人材でした。でも、彼、ゲイだったんです。といっても皆ごく普通に接していました。机に写真が飾ってあって、彼の横に立派な顎髭をはやしてる男性が写っていたんで、「誰」って聞くと、「フィアンセだよ」との返事……フィアンセも大学院で原子物理学の研究をしてるとの話。その新人君は3年ぐらいで辞めちゃったんですが、理由がそのフィアンセの就職が決まって、遠方なんで着いていくから。ちなみにフィアンセの就職先はアメリカ海軍で、原子力潜水艦の研究をするのだとか。
【日本人ドクター】
先にも書きましたが、私が住んでいた地域は日本人もそこそこ住んでいるところでした。企業の赴任者・留学生・研修生・大学勤務の方などいろんな方がいて、こんなにも海外に日本人がいて仕事や生活をしているんだ、と思った記憶があります。その中で一番印象的だったのが、息子の小学校での同級生のお父さんでミシガン大学病院の心臓外科医という方。確か滋賀県出身で、日本で医師をされていたのですが、縁あってミシガン大学に招かれたそうです。ちなみに、お母さんはJALの元キャビンアテンダント、セレブ家族! と当時は思ったものです。おうちに招いていただいた際、正直どんな話すればいいだろと思いつつ、会ってみれば気さくな普通のご一家でした。その時、素直な疑問として「なぜ医者になろうと思ったんですか?」って聞いてみたんです。お父さん曰く「子どもの頃、『ブラック・ジャック』読んでねえ」いや、それって『キャプテン翼』読んでサッカー選手なるんと変わらんレベルやん! この人すげー! って思いましたね。
ほんと、世の中にはいろんな人がいます。
執筆:福岡輝人 
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