現役エンジニアからの手紙(第8回):英語ができるということ

[コラム]現役エンジニアからの手紙<第8回>

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Teruhito Fukuoka

英語ができるということ

今回で私のコラムは終わらせていただこうと思いますので、少し真面目な話をします(写真は赴任中に訪れたアメリカの風景です)。
このコラムを読んでくださっている皆さんは、多少なりとも英語に興味がある、英語ができるようになりたいと考えておられるのだと思います。
では、日本人にとって「英語ができる」ってどういうことなんでしょう。学校や受験のテスト、TOEICでいい点が取れること? 英会話ができること? 英語の本がスラスラ読めること?
私は「英語ができる」とは「母国語ではない英語を使ってコミュニケーションが取れる」ことだと思っています。それってどういうことなんでしょう? 
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写真:左/モニュメント・バレー、右/モントリオール・ノートルダム聖堂
一つには、まずは英語力そのものでしょう。では、英語力を高めるのには何が近道なのか? 海外で生活すればいい? どうもそれだけはないようです。
私の息子は前にも書いた通り小学5年から中学2年までアメリカで過ごしました。ちょうど日本の学校英語を学ぶ前に日常生活で英語どっぷりの世界に放り込まれたわけです。正直なところ、彼は私より流暢に英語をしゃべれるし、聞き取ることができます。でも、彼が高校生の時、英語のテストは80点が取れても100点は取れないことが多かったです。
なぜなのか? その理由がわかるこんなエピソードがあります。
息子が中学1年生でまだアメリカにいる頃、日本の学校英語と実生活での英語の違いについて話した時のことです。
 私 「ここで話してる英語と日本の学校で習う英語は違うんやで」
 息子「何が違うん?」
 私 「んー、例えば “Is this a pen?” って聞かれたら何て答える?」
文法通りなら “Yes, it is.” です。が、返答は一言、
 息子「Yeah!
でした(苦笑)。
もちろん、テストの解答なら×。ただ、確かに日本人でも「これペンか?」って聞かれたら、「はい、それはペンです。」と一言一句は答えないのと同じで、話し言葉なんですね。まあ、大人ならもう少し丁寧に「Yes!」と返すのかもしれないですけど。
そう、彼は英語を文法からではなく、多くを日常会話で身につけた、つまりルールを先に覚えるのではなく、赤ちゃんが言葉を学ぶように、聞いて真似して実際に使って、ということを繰り返した結果なんですね。まあ、彼がアメリカにいたのは中学2年の夏までで、当然子供同士のよりくだけた感じの会話だと思うので、大人以上に文法なんて意識していないですしね。
一応、帰国子女の子供たちの名誉のために言うと、皆が皆文法ができないわけではありません。実際、アメリカで何年か暮らした子供だと小学3~4年生でも英検2級とか準1級に受かっちゃう子も普通にいますし、高校生ぐらいになるとTOEIC800点以上を取る子もいます。息子がテストの点を取れなかったのは基本的に本人のテスト勉強が足りなかっただけだと思います(苦笑)。
ただ逆もまた然りで、例えば私の場合は文法は理解していて時間をかければ書くことはできました。しかし、それをすぐに言葉(会話)にはできない、言葉にできたとしても、そもそも発音・イントネーション・音節が違って伝わらないことが多かったです。要は話すことの実践ができていなかったんですね。
この文章を読んでいる皆さんもどちらかというと、話すことに関しては昔の私に近いのではないかと思います。じゃあ、それを補うには……使ってみるしかないですよね。海外に行け、とまでは言いませんが、英語で話す、あるいはE-mailやチャットを使って英語で文章を書く機会を設ける、習うより慣れろ、ということだと思います。
どちらが先でもいいですが、文法と単語は勉強で覚えて、実際に読む・書く・話す練習をする。この両方を実践することが英語力を上げる方法だと思います。
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写真:左/ケネディ宇宙センター、右/ネイティブ・アメリカンの家
もう一つ、英語に限らず語学を学ぶ上で頭においてほしいのは、言葉は「人と人の意思疎通の手段・道具」だということです。私があえて「カンバセーション」ではなく「コミュニケーション」と書く理由でもあります。
私はアメリカ在住中に、人とコミュニケーションを取る、人に自分の考え・思いを伝えるというのは、同じバックグラウンドを持つ日本人同士さえ、実はなかなか難しいことだと散々思い知らされました。
時差が13時間あるため、日本とのやり取りは基本E-mail、電話ができる場合でも短時間、面と向かっての会話はできなかったので、たとえ日本語でもこちらが伝えたいことがうまく伝わらない、誤解されることはしょっちゅうでした。
それが、世界中の想像できないくらい多種多様の人種・風習・宗教等のバックグラウンドを持ち、それぞれに考え方・常識が違う人たちが相手だとなおさら難しくなります。
語学力があっても相手に自分の考えが伝わらないのでは意味がないですよね。私が出会ったコミュニケーションの上手い人たちは、相手のバックグラウンドを多少なりとも理解しようとし、自分の考えを相手に理解してもらうにはどうしたら良いかを常に考えて話されていたと思います。
この二つが「英語ができる」=英語をコミュニケーションツールとして身につけるということだと私は考えます。
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写真:左/ウォルト・ディズニー・ワールド、右/ホワイトサンズ国立公園
正直なところ、社会人になって英語ができなかったことで色々大変なこともありました。でも、それ以上に感じたのは、もっと早く海外に興味を持っていれば、もっともっとたくさんの経験や出会いがあったんだろうな、というところです。
ネットなどで見ると、小学校から大学までの学校での英語の授業時間は760時間あるそうです。それが少ないのか多いのかはわかりませんが、それだけの時間をかけたものを、受験のため、会社の昇格要件で必要だから、だけに使うのではもったいないと思いませんか? 
今回で私のコラムは最後ということで、今までの私のアメリカでの経験で感じたこと・思ったことを色々書かせてもらいました。もし私のこの拙い文章を読んで、世界に、日本以外の様々なことに、少しでも興味が湧いた、それを満たすために英語を身につけたいなあ、と思っていただければ非常に嬉しく思います。
どうもありがとうございました。
執筆:福岡輝人 
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