ホロヴィッツが奏でるスクリャービンの練習曲 作品8 第12番

[コラム:音楽]心に最高の栄養を!だまされたと思って聴いてごらんなさい!<第2回>

スクリャービン作曲:12の練習曲  作品8  第12番 嬰ニ短調

ウラディミール・ホロヴィッツ。この名前を知らなければ音楽界では「もぐり」と言われるピアニストです。私が小学生の頃、父が彼の日本での演奏会をテレビで見ていました。私が「この人、誰?」と父にたずねたところ、父はためらいもなく「世界一のピアニストや。」と答えました。何をもってして「世界一」なのかは、音楽を語る上ではなかなか議論の分かれるところではありますが、私は「へぇー、この人が‼」と素直に感心し、それと同時に、身近なはずのピアノの音がまるで異次元の音色に聞こえて驚いた事を鮮明に覚えています。

その頃すでに80歳は超えていたであろうホロヴィッツはしかし、もしかしたら最初で最後の日本公演かもしれないとささやかれていたこのコンサートでミスタッチを連発、批評家達に酷評されたのです。このコンサートはチケット1枚が5万円という史上最高値だった事も話題となりました。それなのにミスタッチの応酬……。批評家が叩くのも無理はないとも言えます。実はその数年後。私の恩師となるピアノ科の教授がそのコンサートに行っていたことを知った私は「あのコンサートはどうだったんですか?」とたずねたことがあります。教授はこう答えました。「もうなあ、あのクラスのピアニストになると同じ空気吸ってること自体が芸術なんやで。」そしてこうもおっしゃいました。「ミスタッチがどないしたちゅうねん。あの音楽性をこの世の誰がまねできる?」その頃はまだ若く、技術を習得することに躍起になっていた私は、「ああ、そうか、音楽というのは技術で押していくものではないんだ。音楽性。それが才能の有無の骨格なんだ」と悟りました。妖しげで無垢、大胆であり同時に繊細、両極のものを全て表現できる稀有なピアニストがホロヴィッツその人でした。それでいてちょっとエキセントリックなところもあり、ある雑誌のインタビューで「自分のキャラクターを例えるなら何だと思いますか?」との質問に「道化師! ピエロだ!」と答えています。

今日聴いて頂きたいのは、若くしてソ連(現ロシア)を半ば亡命のような形で出国し、長年のアメリカでの華々しい活躍の後83歳にして実に60年ぶりに祖国の土を踏み、モスクワの聴衆を熱狂させたコンサートのアンコール曲です。会場は超満員です。皆長らく国を離れていたこの伝説のピアニストを一目見てその魔法に酔いしれたい、その一心でこの老巨匠を待ち構えていました。ホール内は彼が舞台に現れる前から一種の興奮状態です。そしてその空気はアンコールの頃には最高潮に。このスクリャービンの練習曲はホロヴィッツが好んでアンコール曲として演奏されてきた作品で、「この曲と言えばホロヴィッツ」と言われる程の代表的なレパートリーです。皆さん、是非、開始4041秒に注目して下さい。ff(大音量の極み)へ向かって緊張感がいや増しに増して行くのかと思ったところに何の前触れもなくふっと、極上の柔らかさを湛えたpp(究極の小さな音)へと一瞬にして移り変わります。これがホロヴィッツの真骨頂。変わり身が早く気まぐれ、大胆にして繊細。地響きするような低音と羽のように軽い高音。まるで天の果て地の果てを自在に飛翔しているかのようです。この「往来可能な範囲」が凡人と決定的に違うのかもしれません。そしてどうか演奏後の地鳴りするような大喝采まで見届けてください。人の熱狂。これがクラシック音楽の魔力なのです。

余談ですが、ホロヴィッツはこのモスクワでの大成功のコンサートの後、再び来日。今度は素晴らしい演奏をして日本の聴衆を唸らせました。

執筆:岸田京子(英語文化学院あすなろ学院長)

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