コラム:日本史小話【6】戦国時代の米・名前・法律

[コラム]日本史小話


濱口先生
(関西学院大学大学院文学研究科/日本史専攻)*執筆当時

戦国時代の米・名前・法律

こんにちは。日本史担当の濱口です。

前回は関ケ原の戦いを取り上げました。なかなか難しい話をしたと思いますので、今回は小休止として、私が今まで学んできて面白いなと思った事について少しお話ししたいと思います。


では皆さん、室町時代において新しい米と古い米どちらの値段が高いでしょうか。このような聞き方をすると古い方が高いと思われる方が多いと思いますが、その通り! 実際に古い米の方が値段は高かったです。

なぜ新しい米より古い米の方が値段が高かったのでしょうか。それは古い米の方が膨らみ、多くの米が食べられる*からです。室町時代というのは食糧難の時代であり、人々からはより多く食べられる方が好まれたのです。そのため、新米より古米の値段が高かったのです。お米の値段からどのような時代だったのかを推測できることは、興味深いですね。

次は、名前に関してお話しします。昔は長男を一郎、次男を二郎、三男を三郎という風に順番に名付けていきました。さて、九郎、十郎ときて、次はどのような名前になると思いますか。今までの法則だと十一郎になりそうですね。しかし、残念ながら十一郎ではなく、与一郎となるのです。十あまりということで与(余)という漢字を使用したのだそうです。この話から、源平合戦で有名な「那須与一」は、最低でも11人兄弟だったことがわかります。このように、名前から家族の構成がわかることがあります。

最後に、法律についてお話しします。現在日本には、日本国憲法という法律があります。一方で戦国時代は、各々の大名が決めた分国法という法がありました。分国法は、それぞれの大名が治めている領国のみに通用する法律です。内容については、大名ごとに異なっていて、興味深いです。

例えば、北関東の結城家の分国法には、家臣に対しての愚痴のような事が書かれている条文があります。ここから、なかなか当主の言うことを守らない家臣の存在がわかりますね。

また滋賀県の六角家の分国法では、当主と家臣双方がこの法を守ることを誓っています。分国法が作られた当時、六角家では内紛が生じていて、国の存続が危ぶまれていました。そのため、分国法を当主と家臣が守ることで六角家を立て直そうとしたのです。このように、分国法は作られた背景や内容が様々です。

今回は私が今まで学んできた中で、お米・名前・法律と3つの事柄についてお話ししてきました。3つのうち、どれか1つでも面白いなと思っていただければ、幸いです。

古い米の方が膨らみ、多くの米が食べられる
古い米は新米に比べ、水分が抜けて縮んでいるので、例えば、同じ一升でも米粒の数が新米より多くなる。そのため、炊く(水分を含む)と新米よりも全体量が増えることになる。

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