コラム:日本史小話【10】神になる天下人

[コラム]日本史小話


濱口先生
(関西学院大学大学院文学研究科/日本史専攻)*執筆当時

神になる天下人

こんにちは。日本史担当の濱口です。

突然ですが、「僕は新世界の神となる」というフレーズをご存知でしょうか。これは「DEATH NOTE」という漫画に出てくる主人公のセリフです。残念ながら、その主人公は神になれなかったのですが、歴史上神となり祀られている人物は案外多いです。では皆さん、どのような人物がいるか考えてみてください。

ぱっと思いつくのは、学問の神様で有名な菅原道真でしょうか。しかし、菅原道真が神格化(神として扱うこと)した時の呼び名はあまり知られていないと思います。どのような名前かと言いますと、天満大自在天神です。このように人が神格化した時は、神としての名前が付きます。では、豊国大明神という神は誰が神格化した時の名前でしょうか。正解は豊臣秀吉です。なかなか聞いたことがないと思いますので、今回は、豊臣秀吉の神格化についてお話しします。今までで一番難しい内容かと思いますが、普段なかなか知る機会がない知識ですので、最後まで読んでいただければ幸いです。


まず、豊国大明神という名前は豊葦原中津国から文字をとっており、大まかに言えば日本の国名を強調したような名前です。その豊国大明神が祀られている神社は、豊国神社といい、京都と大阪にあります。大阪は、大阪城内桜門の正面に鎮座しているため、どのような神社か知らなくても見たことがある方は多いのではないでしょうか。大阪城に行く機会があれば、ぜひ確認してみてください。

さて、こうして豊国大明神となった秀吉ですが、実は別の神になることを望み、遺言を残していたのです。宣教師の日記によると、新しい八幡、つまり「新八幡」になることを望んでいたそうで、このことから秀吉が亡くなった後に遺言にあった神の名前を変更させた犯人がいることになります。

では、それは誰なのかという問題が出てきますね。昔は、当時の天皇であり秀吉の生前に蔑ろにされてきた後陽成天皇が、秀吉に反抗するために新八幡を認めなかったと考えられていました。しかし最近では、当時の政治状況を考えると、他にも変更に関与した人物がいるのではないかと考えられるようになりました。一人は、徳川家康でした。秀吉が亡くなる前後に家康は、祖先の系図を書き換えて「源」姓*に変更しようと画策していました。ここで不都合が発生します。八幡神は源氏の氏神のため、秀吉が新八幡となった場合、源姓の家康は秀吉が亡くなって以降も秀吉を崇める必要が発生します。このような従属状態を防ぎたかったため、秀吉を豊国大明神に変更させたと考えられています。

次に豊臣秀吉の息子である秀頼もこれらの変更に関与しました。当時は、秀吉の朝鮮出兵が失敗に終わり、明国側有利の条件で明と和平を結びました。この明に負けたという事実は豊臣家の権威に傷を残します。このような失敗を払拭するために、国内で日本国は明より強いという意識をつくり出す必要がありました。そのため、秀頼が注目したのは仏教でした。大きな国にも関わらず仏教が廃れている明に対して、日本は小国ながらも仏教を再興することで、日本の優位性を前面に示そうとしたのです。この政策を後押しする神は、軍事的な神様である新八幡より日本国を強調した豊国大明神の方がマッチしていたのです。このような理由から秀頼は、豊国大明神への変更に賛成したと考えられています。このように様々な思惑から秀吉の遺言は書き換えられ、豊国大明神が創り出されたのです。

今回は、人の神格化について豊国大明神を取り上げ、どのような意図があって神は創られるのかについて述べてきました。神が創られる背景を考えることで、当時のトップの考えを推測できるのは興味深いですね。

さて、この日本史小話は次回でラストを迎えます。次回の更新をお待ちください。

*姓(源、藤原、平など)
姓(源、藤原、平など)とは、簡単に言えば同じ祖先を持つ人たちの集団の名前で、名字(徳川家康の徳川)が家の名前と考えてください。姓という大きなグループの中に、様々な名字があるというイメージです。

*Y.H先生は2022年度から社会人として就職されるため、Y.H先生の個別指導は終了いたします。

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