現役ビジネスマンからの手紙(第5回)

[コラム]現役ビジネスマンからの手紙<第5回>

Shinichi Tanaka
Shinichi Tanaka
photo by Tatsu Ozawa

留学後

あすなろニュースレターをお読みの皆様、こんにちは。田中伸一です。

この第5回で最終回ですが、今回は留学後の生活、特に外資系の企業で勤務した経験から感じた事を書かせて頂きます。

留学後、会社に戻り2年半ほど勤務したのちに、アメリカ系の医療機器メーカーに35歳で転職いたしました。前の会社は日系企業であったので、外資系企業の仕事の進め方や同僚・部下との距離感の取り方で、最初の半年ほどは、かなり戸惑いました。

日系企業ですと、当時はまだ年功序列が守られており、部下は上司の指示を受けて動くのが当たり前で、上司と議論する事や、違う意見を口にする事などは、ほとんどありませんでした。

これが外資系企業だと話が違います。もともと国籍も文化背景も母国語も異なる人が集まっているため、自分の意見を明確に伝えないと人は動いてくれません。そのため、「私は何をあなたに期待しているか」「その理由は何か」など上司は明確に伝える必要があり、逆に、部下も、その指示が不明確な場合は、確認しないと自分に振りかかってきます。こういう断定的なコミュニケーションに慣れていなかったため、部下や同僚から聞き返されたり、理由を確認されたりする場面が多かったです。

今にして思えば、特別に激しくチャレンジされていたわけではなかったと思いますが、新任マネージャーであった私にとっては、「これは本当に必要ですか?」「この理由をもっと説明してもらえませんか?」などという、日常の何気ない部下や同僚との会話に心が動揺して、うまく会話をコントロールする事が出来ませんでした。一年ほどは「ダメなマネージャー」だったと思います(笑)。

そのような状況も、時間が経つにつれ落ち着いてきました。目の前の業務をちゃんとこなしていくうちに、周囲の信頼も徐々に得る事ができ、自分自身の中でも「単にコミュニケーションの形が違うだけで自分が否定されているわけではない」と腹落ちもしてきました。やはり、資本の国籍や業種を問わず、自分に与えられた業務・ミッションをキチンとこなす事が基本ですね。

しかし、外資系の会社に勤めている以上、英語がどの程度話せるかは、その業務をこなす能力だけでなく、日本での経営陣や本国の人間からの評価に非常に大きく影響します。もっと言いますと、その評価に基づいて出世の度合いも大きく変わってきます。英語のコミュニケーションで本国の人間から信頼してもらえなければポジションを上げてもらう事は難しく、従って給料もあまり上がりません。そりゃーそうですよね。本国の評価者は、日本での日本人の世界には言葉の壁で入れませんので、外から眺めているだけです。その中で誰が本当に頑張っている・結果を出しているかはとても見えにくいと思います。そのため、本国の人が理解できる言葉=英語でのインプットにどうしても頼ってしまいます。また、このような認識のギャップは、その本国の方が日本で働いていても起きてしまう事が時々あります。ですので、他の業務に関する能力が足し算されるのに対して、英語はその全体に掛け算されるほど影響が大きいです。

ただ、英語だけでなく、もちろん専門的な知識や他の背景がひょんな事から役に立った事もありました。最初の転職先であるアメリカ企業から日系企業との合弁会社に、当時の自分としては一つ上のポジションで出向したのですが、その時に私が選ばれた理由は「日系企業とアメリカ系企業の両方の企業文化を体験している」というものでした。そこでの経験のおかげで、その後のキャリアが広がった事を考えると、ありがたいご縁だったと思います。

ちなみに、私が働いた外資系のほとんどは、組織が単純なピラミッド型ではなく、日本の組織とグローバルの組織のマトリックス状になっていました。すなわち日本では日本の現地法人としての組織があり、そこに上司がいますが、ファイナンス・人事・サプライチェーンなど特定の機能を持った部署は、グローバル全体として一つの別の機能組織としてまとまっており、そのグローバルの機能組織にも別の上司がいます。したがって、常に2人の上司がいる形になります。

この2人に評価をされるわけですが、やはり英語でクリアにコミュニケーションが出来る事が必要になってきます。私自身は留学で2年アメリカにいたとはいえ帰国子女でもないので、ずっと苦手意識があり、また英語でうまく伝えきれなかったためにずいぶん悔しい思いもしました。それでも帰国後もずっと通勤時に英語のシャワーを脳に浴びせ続けた事で、ある時に閾値を超えたのか、英語で気後れすることがなくなりました。会話の練習もほとんどしていなかったのですが、電話会議を必死になって行ううちに言葉も途切れずに出てくるようになり、言い回しも複数出来るようになってきました。今でも決してきれいな発音・イントネーションではありませんが、伝えるだけなら問題なくできる、という自信もできてきました。

そうなのです。英語はコミュニケーションのツールなのです。ですので、特に才能が必要なわけでもなく、地道に努力していけば、必ず身につきます。アメリカ人やイギリス人のように、もともと英語が母国語である方々ならともかく、いままで接した英語を外国語として学んだ方々でも、同じように努力して身につけていらっしゃいましたし、特に英語を「勉強」して身につけたというよりも、実践で身につけた方が多かったです。そういう方(English Non-Native)のほうが、ご自身も努力されているだけに、私の下手な英語に対しても寛容でした(笑)。ただ、お互いに訛っているので、お互いが慣れるまでは、なかなかコミュニケーションが大変な面もありましたが、不思議とEnglish Nativeの方は、どんな訛りでもスグに慣れていましたね(笑)。

さて、5回に渡って、英語を通しての個人的な体験を書かせて頂きました。些細な事でもあり、お耳汚しな面もあったかと思いますが、少しでも楽しんで頂けましたら嬉しく思います。また、このように書き起こす事で、私にとっても自分の体験を振り返る機会となりました。このような機会を頂けました事に感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。では、またどこかでお目にかかりましょう。

執筆:田中伸一

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