現役エンジニアからの手紙(第5回):I like Soccer! ~息子のアメリカ生活~

[コラム]現役エンジニアからの手紙<第5回>

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Teruhito Fukuoka

I like Soccer! ~息子のアメリカ生活~

今回は 私の息子の話を紹介しようと思います。

赴任は嫁さんと息子と猫1匹を連れてでした。息子は小学校5年の夏から中学校2年の夏まで3年間アメリカで暮らしました。学校はいわゆる日本人学校ではなく、地元のアメリカ人と同じ現地の小・中学校に通いました。
アメリカの学校事情は地域によって違いはありますが、LAやNYといった大都会以外は日本人学校がなく、平日は現地校に通わせることが多いようです。授業もクラスメートとの会話も、もちろん英語です。ただ、アメリカは基本、移民の国なので、日本人以外にも英語が話せない子供は結構います。そういう子供を対象にしたESL※1というシステムがあり、いうなれば特別授業で初歩的な英語の授業を受けさせてくれるというものです。といっても英語を英語で教えているんですけどね。

学校の学年はグレードといいます。これも地域で若干違いがありますが、小学校をElementary School といいグレード1~5まで(5年生までのイメージ)、中学校はMiddle Schoolで 6~8、高校がHigh Schoolでグレード9~12で4年間が一般的なようです。(なので、大学を受ける年齢は日本と同じですね。)あと、違うのは学年は9月始まり6月終わりで、夏休みは実質2カ月(!)あります。

また、日本人は土曜日だけ日本語補習校という一応文部科学省認可の学校があり、そこで小学生は国語と算数、中学生は国語・数学・理科・社会を日本の教科書を使って教えてくれます。ただし、週1で、日本と同じカリキュラムをこなそうとするので、かなりすっ飛ばしているイメージですね。一度授業参観で社会(地理)を見学しましたが、1時間でオーストラリアと北米大陸が終わっていました(苦笑)。

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写真:補習校の運動会

そんな感じの中、息子の場合は小学校5年の夏休み明けからグレード5に編入しました。息子には私の赴任前に少し英会話レッスンを受けさせていましたが、もちろん編入当初は英語なんて話せません。幸い息子のクラスには日本人の子が2人いたので、だいぶ助けてもらったようですが、最初の日がどんな感じだったのか息子に当時を思い出して書いてもらいました。

渡航前の小学校では、まだ英語は必修化されていませんでした。英語に触れるといっても、せいぜい「私はお腹がすいています」「これはリンゴです」など、お遊び程度のものでした。英会話教室に通ったり家庭教師をつけてもらったりしましたが、到底アメリカで暮らしていく英語力を身につけることはついに叶いませんでした。
そして小学5年生の夏、私は人生初の海外渡航を果たしました。未知の環境、初めて見る人種、異なる文化。すべてが新しく、不安ながらもこれから始まる生活に胸を躍らせていました。渡米してから1カ月、いつの間にか小学校が始まろうとしていました。幸いにも私が住んでいた地区は、比較的日本人が多く住んでいたので少し安心感はありました。そうはいっても、やはり初対面のクラス、何より人種からして違います。最初の自己紹介で一発かまして舐められないようにしよう、そう心に決めクラスへと足を進めました。
クラスに入る直前、難所が私の行く手を阻みました。ダイヤル式のロッカーです。おそらく日本にもあるのでしょうが、つい3カ月前まで防犯※2という観点はまったくない木製の棚(ロッカー)にランドセルを突っ込んでいた私には、開け方そして閉め方など知る由もありません。結局、ロッカーを閉め席に着いたのはチャイム30秒前でした。ラッキーなことに隣は日本人でした。思えば先生がそう取り計らってくれたのでしょう。
先生が何かをしゃべり、クラスが始まり、生徒がそれぞれ自己紹介をしています。もちろん何を言っているかはさっぱりですが、頑張って彼らが名前と “I like ~” と言っているのが分かり嬉しくなりました。そうか、名前と好きなものを言えば良いのだなと理解した私は、頭の中で必死に文章を組み立て、そうしている間に自分の番が回ってきました。“I’m 〇△, I like soccer, nice to meet you” と拙いながらもなんとか自己紹介を終えた瞬間、皆が笑い始めました。何が何だかわからないが自分が笑われていると気づいた私は、助けを求め周りを見回しました。すると隣の日本人の子が小声で、「好きなものじゃなくて、好きな動物だよ」と教えてくれました。慌てて “I like cat” と言い直しました。恥ずかしくてその後は何も覚えていません。クラスメート達は、何だ、あの日本人、とでも思っていたのでしょう。

まあ、登校初日はこんな感じだったようです。とりあえず、息子はそれでも行きたいくないとかは言わずに普通に通い始めてくれました。といってもすぐに英語ができるようになるわけはなく、授業を聞いてもちんぷんかんぷんだろうと思い、息子に聞いたことがあります。
私「授業中何してるん?」
息子「ハリーポッター読んでる」
私「え、日本語の? そんなんでいいん?」
息子「先生がいいって言うてた」
てな感じでした。先生もそういう子が多いので慣れているのと、いかにも個人を尊重するアメリカらしいところだなあと思ったものです。
他の思い出はないの? って聞くとこんなエピソードも聞かせてくれました。

アメリカの小学校では、日本ではできないさまざまなことを体験できました。そのうちのいくつかをご紹介していこうと思います。
まず何よりも驚いたのがお菓子を食べるための時間があったことです。ランチとは別に時間内なら無制限に持ってきたものを食べることができました。大半の生徒はフルーツやお菓子のミニパックなどでしたが、コストコで見るようなでっかい大袋のお菓子を持ってくる猛者もいました。アメリカは肥満が社会問題になっていますが、こうしてTVで見るような超ぽっちゃり人間が育てられていくのだなと学びました。
日本の小学校では、授業は1人の先生が複数の科目を教えるというシステムですが、私がアメリカで通っていた学校は1人が1科目を教え、生徒が授業毎に先生の部屋へ移動するというシステムでした。どちらかといえば大学寄りのシステムですね。授業のうちのいくつかは自分で選択が可能で、その一例が音楽です。

日本では、リコーダーや合唱、座学などがメインです。しかし、アメリカではオーケストラ(弦楽)かブラスバンド(吹奏楽)かの2つの選択肢が与えられました3。肺活量に自信のない私はオーケストラを選び、バイオリンを弾くことになりました。授業では昔からバイオリンを習っているという男の子と友達になり、一緒に遊ぶようになりました。思えば彼が異国の地での初めての友達だったかもしれません。しゃべっていることの60%は理解できていませんでしたが、フィーリングでどうにかしました。

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写真:小学校の音楽の発表会

動画:中学校のオーケストラ発表会(ミシガン大学のコンサートホールにて)

話が少し脱線してしまいました。ところでアメリカの学校といえばスクールバス、というイメージをお持ちの方は大勢いらっしゃると思います。まさにその通りで春夏秋冬、毎朝毎夕、ほぼ定期的にバスが家と学校まで運んでくれました。バスドライバーのおじさんはそこそこスピードを出すので、かなり早く家に着きました。
そんなスクールバスでも大雪の日にはストップしてしまいます。私の住んでいた地域では冬は雪が降りやすく路面が凍ってしまうので、生徒の安全のためスノーデイという休みの制度が設けられていました。時にはそれが1週間も続き、はしゃぎ倒したのを覚えています。

叶うならばもう一度あのシートに座ってみたいものです。

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写真:スクールバス

息子はこんな感じでだんだんと慣れていっている様子でしたが、親は親で子供の宿題や勉強の手助けをするという難関がありました。
例えば、ある日のこと
息子「明日社会のテストがあるんだけど、わからんから教えて。」
私「どれ? ん、アメリカの歴史?? ネイティブアメリカン? ボストン茶会事件???」
そう、日本じゃ断片的にしか習わないことを聞かれるんで、こっちも知らんので教えようがない。
いやあ当時は困りましたね。なにせわからないんで、教科書のだいたいこの辺、覚えときって適当に言っていました(笑)。

息子はサッカーをやっていたので、現地のサッカーチームにも入りました。特別うまいというわけではなかったですし、日本人としても体が小さかったのですが、足は速かったので上から2番目くらいのチームで、そこそこ試合とかにも出させてもらっていました。最初は日本人は息子だけで、かつ英語もしゃべれなかったのですが、サッカーを通じてチームメートが認めてくれ仲良くしてもらいました。スポーツと音楽は万国共通というのは本当ですね。

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写真:一番小さいのが息子。現地のサッカーチームメイトと。

※1:ESLはEnglish as a Second Languageの略で、英語が母国語でない人のための英語プログラム。ただESLは地域・学校によってはないこともあります。
※2:アメリカの学校は授業が始まると校舎の外のドアは防犯の為ロックされます。住んでいたアナーバーはかなり治安の良い地域でしたが、それでも防犯の意識は日本とは違いますね。
※3:アメリカの全部の学校で音楽授業が同じかはわかりません。アメリカは日本と違い、地域・学校によってカリキュラムが同じではないようです。
執筆:福岡輝人 
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