土曜コラム第13回:ウラニアさんとあすなろ学院生との交流記録(2)日本語訳

[海外リポート]みんなの声 What’s up?

あすなろ学院生とプラハで活躍するピアニスト・ウラニアさんとの交流をご紹介するコラム。第2回のウラニアさんの返信を日本語に訳しました。

英語原文はこちら→ウラニアさんとあすなろ学院生の交流記録(2)

40633 [中高女子] 誰も知らない外国で暮らす事はなかなか勇気がいる事だと思います。怖くなかったですか? はじめどうやって友達を作りましたか?


Ourania 

こんにちはR、質問してくれてありがとう。プラハに来て勉強を始めた時、私は17歳でしたが、とても興奮しました。だって夢をかなえられたのですから、不安と疑いはありません。困難に直面した時でさえ、私が全く知らない町で、住んで勉強することへの魅力を奪いませんでした。 しかし言語の壁に直面する事と不親切な人と接しなければならない事のは難しかったです。 1990年チェコ共和国は共産主義の政治をやめましたが、多くの人々は古い時代の考え方を持っていて、外国人嫌いの人が多くいました。古い体制への反動で若者たちは、政治的運動の「スキンヘッド」に傾倒しました。また、肌が白く青い目で金髪ではない外国人を目の敵にするので、町で彼らに会うのは少し怖い体験でした。一年後、幸運なことに政府は政策をとり、全てのそれらの過激派組織はプラハの外へ追放されました。今日、プラハには外国人嫌いな人や外国人を敵視するような全ての行為はなくなっています。 私の最初の友人は私が訪れた語学学校の最初の学生たちでした。私たちは世界中いたるところから夢をかなえるためにプラハに来た幸せな若者達の集まりでした。 プラハ芸術学校に入学した後、私はその学校で唯一の外国人だったので、チェコの学生と友達になりました。 1990年からの私たちの友情はコーヒーを飲んで話したり、社会のメディアや電話を通して今も繋がっています。 私はまた音楽学校の寮に住み、そこではチェコ人も外国人も全ての音楽の学生が住んでいました。そこであなたの先生に出会ったんですよ。私たちは長年会っていませんが、連絡を取り続けていることは素晴らしいことですし、いつかもう一度会えると願っています。

外国に住むことはストレスを感じることがありますが、あなたがそうしたくてそこでの経験を好むのであればあなたの人生の冒険を楽しみ、世界中から来た人々と会うことを止めるものはありません。全ての難問には解決法があります。あなたが愛を持って行えばあれば、あなたは人生で勝利できるのです。

もしあなたが外国に住むことを決めるならば、上手くいきますように。私はあなたが楽しめると確信しています。

質問してくれてありがとう。

ウラニアより

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