セルゲイ・ラフマニノフ。我が最愛の音楽家/メロディ 作品3 第3曲

[コラム:音楽]心に最高の栄養を!だまされたと思って聴いてごらんなさい!<第4回>

セルゲイ・ラフマニノフ。我が最愛の音楽家。

幻想的小品集 作品3 第3曲「メロディ」


前回のこのコラムで、ロシアの作曲家兼ピアニスト、ラフマニノフについて触れました。彼の音楽は、よくフィギュアスケートや(最近では浅田真央さんの「鐘」が有名です)映画音楽に使われたりしていますので、聴けばご存知の曲も多いのではないかと思います。

私が初めてラフマニノフの音楽に出会ったのは大学1年生の時です。当時ピアノを専攻していた私は、年1回課される「リサイタル」に向けて、師事していた先生から指定されたブラームスの曲に取り組んでいました。普通なら大人しく(?)頂いた曲を仕上げて本番に挑むべし、なのですが、このブラームスの曲が私にはどうしてもしっくりこなかったのです。(ちなみにブラームスを愛する方々のために。ブラームスも私の好きな作曲家の1人なのですよ。それなのに、です。)弾けば弾くほどその当時の私の心と合致せず、技術的にはさほど難度の高い曲ではないにもかかわらず、なにかザラザラした感覚になってどうしても弾けない。リサイタルの日は迫ってくる。どう弾いたらよいのかわからないまま、とうとう残り一カ月となったところでたまらず先生に泣きながら電話をしました。「先生、どうしても弾けません。曲を変えてください」と訴えたのです。恩師は多分「この時期にか?!」と懸念されたとは思うのですが「しゃーないなぁ。そしたらラフマニノフ、弾いてみるか?」と、2曲、指定してくださったのです。ラフマニノフはその当時は私には未知の作曲家で、しかも一カ月で2曲仕上げるのはかなりの賭けでしたが「今、このブラームスの曲を弾き続けるよりは……」と、藁にもすがる思いで取り組みました。これがドンピシャ。「うわぁ!これは弾けるわ!」と一気に仕上げ、リサイタルも無事終了。恩師は「えらいキッチリはまったなぁ!」と安堵の表情。そこから私のラフマニノフ愛がスタートしたのです。以来、大学4年間のすべてのリサイタルをラフマニノフ一辺倒で通し、卒業試験も卒業演奏会もすべて彼の曲でした。

なぜ私がここまで彼の曲を偏愛するようになったのか、答えは一つです。音の一つひとつがまるで言葉のように私にはすべて理解できた(気でいただけかもしれませんが)。彼の望郷、哀愁、憧れ、葛藤、心情。それらが同じ言葉を話しているような感覚で、すーっと心に入って来たという感じでしょうか。何を聴いても「あー、わかるわ」と共感するのです。

ラフマニノフは1873年にロシアに生まれ、幼少の頃からピアニストとしての英才教育を受けた後、作曲も始め、演奏家としても作曲家としても活躍した人です。しかし、いつも順風満帆だった訳ではありません。満を持して発表したピアノ協奏曲は大失敗。それがきっかけで鬱となり、しばらく曲が書けない状態が続きました。また、2メートル近い大男だったにもかかわらず(?)心は非常にナイーブで繊細。社交的でもありませんでした。そしてロシアからの亡命。前にご紹介したホロヴィッツと違って、ラフマニノフは亡命後、帰郷を強く望みながらも二度と故国の地を踏むことはありませんでした。そんな彼の唯一の支えは家族でした。良き妻、良き子どもたちに恵まれ、幸せな家庭生活だったそうです。そのためか、音楽家にありがちな奔放で奇怪な言動とは生涯無縁でした。このことも私が彼を好きな理由の一つです。

時代が奇抜で斬新な現代音楽の波の真っただ中にあって、一貫してロマン派のメロディと曲想を保ち続け、世にも美しい曲を数々世に送り出したため、ラフマニノフを時代遅れと称した批評家もいました。この、時代の波に迎合せず美しいと思ったものを作り続ける姿勢も私は大好きです。

ラフマニノフは愛好していたタバコが原因で69歳でこの世を去りますが、彼は「悲しみの収穫」という言葉を残しています。それは歴史、政治、時代の波に翻弄され、時には苦しみや悲しみを抱えながらも、それらを見事に音楽に昇華した彼の人生そのものを表す言葉だったのではないかと思います。

さて、今回聴いていただきたいのは「メロディ」という小品です。これはラフマニノフがかなり若い時に作曲したもので、まだナイーブさが痛々しいほど露わに漂っていますが、同時に、急に覆いが取れてどこまでも視界が広がっていくような、彼一流の大陸的なおおらかさと雄大さがすでに確立されています。この繊細さと大陸的なおおらかさが私のラフマニノフ偏愛の最大の理由の一つです。ラフマニノフ自身による演奏の録音はラフマニノフがアメリカに渡ってから演奏したものと思われます。この時代になると作曲家自身の演奏が残っているので非常に興味深いですね。何か遠い昔の美しい日の思い出を辿るような、そんな感じの演奏です。ロシアの短い春の一日なのか、それとももう帰らない思い出の人なのか。あなたは何を思い浮かべますか?

執筆:岸田京子(英語文化学院あすなろ学院長)

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