鑑賞のススメ:「能」は究極の簡素美

[コラム]心に最高の栄養を!だまされたと思って聴いてごらんなさい!<第7回>

 鑑賞のススメ

「能」は究極の簡素美

前回に引き続き、お能のお話です。

(写真提供:瓦照苑)

久々にお能を鑑賞して感じたこと、気づいたこと、それは「究極まで磨きをかけた簡素美」でしょうか。

例えば、経験不足の役者さんほど、どうしても動いていなければ演技した気にならなかったり、常に何かをしていないと表現出来ないという思いに駆られるそうです。熟練してくると、ただそこに居るだけで登場人物そのものが存在しているように感じる、ただ存在することそのものが演技なのか、それとも素のままのその人なのか、その境界線が限りなく曖昧になるらしいです。確かに、若くて経験不足の俳優さんはやたら大きく表情を作りますね。

お能というのは、表現の型が元々きっちり決まっていて、あまり自由がないように思えます。だからこそ演じる側にとっては難しく、観る側はそこが面白い。なぜなら、表現の自由が極限まで規制されているからこそ、その役者の人となりそのものが舞台での一挙手一投足に大きく反映されるからです。演じる側にとってこれほど怖いことはありません。だって、自分という人間そのものを見透かされるわけですから。だから普段の生活や精進、努力、幼い頃からの躾、人としてのあり方全てが「修行」となり、その集大成が舞台に乗るのですね。

執筆:岸田京子(英語文化学院あすなろ学院長)


前回のお話はこちらをクリック 心に最高の栄養を!だまされたと思って聴いてごらんなさい!<第7回> 鑑賞のススメ(2022年10月11日)

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