コラム:日本史小話【7】当事者主義と半手

[コラム]日本史小話


濱口先生
(関西学院大学大学院文学研究科/日本史専攻)*執筆当時

当事者主義と半手

こんにちは。日本史担当の濱口です。

前回は、小休止として3つの事柄に関する小話をお話ししました。前回の小話は、大変好評だったようなので、引き続き面白い小話をお届けしたいと思います。今回は、当事者主義と半手についてお話ししたいと思います。


中世の特徴の一つに当事者主義があります。当事者主義とはすべての事を自分で行わなければいけないということです。例えば、何か犯罪の被害に遭った時、皆さんはどうしますか。現在は、まず交番などに行き、警察に相談しますね。そして警察の捜査の結果、犯人を見つけ出します。

しかし、中世ではこのような手順を踏みません。もちろん警察が存在しませんので、自分で犯人を見つけ、かつ犯人である証拠を見つけ出さないといけないのです。
しかし、中世の人々はなかなか血気盛んだったため、手順を無視して犯人を殺害し解決してしまうということもありました。その場合、殺された側からの当事者主義の適用で、殺し返される可能性も少なからずありました。

さらに当事者主義の例として、もう一つ挙げます。合戦が起きると、敵対している領主の村は略奪の対象になります。この略奪行為を防ぐためには、攻めてくる領主から「禁制」というものをもらう必要があります。「禁制」とは、その村から食料や材木などを勝手に奪うことを禁止する手形のようなものです。この手形がない村は、食料以外に人などもさらわれる被害を受けます。このように合戦時においても、自ら行動しなければ村を守ることができません。

続きまして、半手についてです。対立する2つの勢力間の境目の村では、「半手」と呼ばれる状態が起きていました。これは、相手(敵)と当手(味方)の双方に対して半分ずつの年貢を納めている状況のことです。こうすることによって、中立地帯をつくり、敵からの略奪を防ごうとしていました。また、両勢力に対して商売をしようとする商人もこの村を拠点にして活動していました。しかしこの半手にもデメリットがあり、どちらにも半分属しているということは、両勢力から攻められる可能性がある事になります。つまり、どちらかに所属していれば、その味方の勢力から保護される可能性が高まりますが、半分ということはその保護される可能性も半分となり、むしろ敵対勢力の保護下とみなされ攻められることになるのです。このような状況は、合戦が頻発していた戦国時代にのみ見られる現象です。

今回は、当事者主義と半手についてお話ししました。次回は村をテーマに少しお話ししたいと思います。

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